新内ってなぁに

邦楽のジャンルのこともまったく知らずに始めた新内のお稽古ですが、もともとは豊後節というジャンルが始まりのようです。※ネットとか本とかでちょっと調べてみました
京都の宮古路豊後掾(みやこじぶんごのじょう:じょうというのは浄瑠璃の太夫に与えられた称号)という人がいて、独自の芸風「豊後節」を作り上げて江戸へ殴り込みをしたらしい。
江戸の人達は、この情熱的な芸風に熱中したらしいです。そして豊後節で情熱的に語られる内容に影響を受けて、心中や駆け落ちが流行したことから、「豊後節禁止」のおふれが出たとか。(1739年:近松門左衛門は1725年没といわれている)
豊後掾さんは、江戸では活動できなくなって京都へ帰っちゃうわけですが、江戸に残った弟子たちが看板を変えてアレンジを加えて新しい流派を名乗ります。「常磐津」「富本」さらに「富士松」などです。

邦楽の分類

この「富士松」に鶴賀太夫という天才が現れます。(鶴賀若狭掾:つるがわかさのじょう)
若狭掾は、クリエイタとして「蘭蝶」「明烏」などの作品を生み出すわけです。その鶴賀の一門に鼻へ抜ける美音を持つ新内というアーティストがいたわけです。楽曲制作は小室哲哉、アーティストは安室奈美恵みたいな感じでしょうか。(敬称略)世間の人たちは安室ちゃんのライブへ行こう!安室ちゃんの歌を聴きたい!わけで、クリエイタの名前や富士松節というジャンルよりも、「新内」という呼称が定着したわけです。
師匠の若狭掾は、新内くんを認めてなかったというお話しもあるようですね。ww